いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

プーチン大統領訪日で「POST真実」を体験する

『英オックスフォード大出版局は16日、今年注目を集めた英単語として「客観的な事実や真実が重視されない時代」を意味する形容詞「ポスト真実」(POST-TRUTH)を選んだと明らかにした。』
 これは産経ニュース(Web)2016年11月17日の記事だ。

 

 事実や真実といったものが重要性や意味を失いつつあるという。

 

 このPOST TRUTHという耳慣れない言葉。だが、現代を象徴しているという印象が確かにある。

 最近ネットのニュースを読んで、これ事実かフィクションか、判断に困ることってないだろうか?

 

 例えば、12月16日付でAFPが配信したニュース。

『米ホワイトハウスは15日、大統領選の妨害を狙ったサイバー攻撃にロシアのウラジミール・プーチン大統領が直接関与していたとの見方を示した。二大核保有国である両国の対立した危険性を劇的に高める主張だ』

 

 これは一体どう受け止めればいいのだろう? いや、受けとめる前に、これは事実? 事実だとしたら、世界がひっくり返るくらい、えらいことじゃないのか?

 

 ところが世間は特にこんなこと気にしてない様子なのである。
 プーチンは安倍と一緒に、誠に礼儀正しそうな立ち振る舞いで、先ほどまで総理公邸での記者会見に応じていた。

 

 だが一方で、シリアのアレッポでは多くの市民を犠牲にして、政府軍の反政府軍への武力攻撃が行われている。
市民の上に降り注ぐ政府軍の爆弾や銃弾の多くはロシアの支援をうけている。
 一見紳士のような顔をして日本のメディアの前で淡々としゃべるこのロシア大統領は、実はシリアに雨あられと爆弾を落として大勢の市民や子供達を犠牲にしても躊躇しない、強大な軍事力で世界に介入する人物なのである。

 

 わからない。何が真実で何が嘘なのか。
 思わず自分の目と耳を疑うメデイアの情報…

 

…などなどとこの拙文を書きかけ中断した翌々日、メデイアは北方領土問題における安倍外交の明らかな失敗と、プーチン大統領と安倍首相の滑稽なまでの温度差、そして他方におけるロシアのシリア軍事介入の深刻さ、在日シリア人によって人々の「プーチン帰れ!」デモが起こったことなどを伝えている。

 

 これでようやく、少し事実関係の多面性が見え始め、整合性がとれ始める。

 何だったんだろう、あのロシア大統領訪日への勝手に期待した報道。何だったのだろう、あの共同記者会見…。

 

「 POST真実」という危険性は、事実の複雑さ多面性を見極めることが困難な個というものの中に、そして事実と情報を私利私欲の曇りなく、ありのままに複雑に多面的に伝える事を忖度するメデイアの中に、存在しているようである。

 

 

1兆1900億円のTPP予算を執行停止しないんだそうだ

 2016年12月10日付東京新聞によると、

安倍晋三首相は9日、TPPの発行を見越して組んだ約1兆1900億円の関連予算について、来年1月にトランプ氏が米大統領に就任し、実際にTPP脱退を宣言した後も、予算の執行を止めない方針を示した」という。

 

 はあー。だからアメリカの脱退で、発効しないことがほぼ確定しているTPP関連法案を強行採決したのだな。

 

 それにしても、2015年度補正予算で4875億円、2016年度当初予算で1582億円、補正予算で5449億円の関連予算が計上されているという。発効される見込みのない法案のために日本人が支払わされるのは、すごい金額の税金である。

 

 この予算、一体誰に何の目的で支払われるのだろうか? TPPが発効しなくても、そのカネは一定の成果をあげるのだろうか? それは何の誰のための成果か?

  私は知らない。新聞を読んでも具対的な記載はない。国民はみんな知っているのだろうか。私にはわからない。わかるのは、巨額の税金がすでにTPP予算として執行されているという現実だけである。

 

 

『弾劾可決』に思う

『「新興宗教で近づいた人物に国政を牛耳られていた」との構図が明らかになり、朴氏の友人、チェ順実被告による財閥資金の流用や、その娘の大学不正入学などが発覚するにつれ、国民の怒りは増幅。当初2万人だった退陣を求めるデモ参加者は、6週間で220万人に膨れ上がった。』(2016年12月10日東京新聞

 

 結果、10月下旬疑惑発覚直後、ハードルが高いとみられていた弾劾は、与党現有議席128のほぼ半数となる少なくとも62人が賛成し、圧倒的多数で可決された。

 

 言わずと知れた韓国朴大統領弾劾のことである。

 時系列で見ればこうなる。

 因果関係で見てもこうなる。

 

 嘆息する。

 韓国では、人は当たり前に不正に怒り、人々の不正への怒りに、政治家は震撼する。反応せざるをえない。

 

 日本では、事象はこの順序で因果関係を結ばない。

 因果関係が成立する以前には、あまりにたくさんの、あまりにたくさんのハードルが存在するからだ。

 

 まずこの国では、めったなことで政権与党周辺のあるいは権力の中枢にある国会・地方議員周辺の権力とカネにまつわる疑惑は発覚しない。 

 メディアはそれに関心を持たない。あるいは関心を持っているふりはしたところで、核心にまつわる関係性や確証は国民の眼前に暴きたてられることはない。これまでにも暴きたてられる寸前はあった。しかし話は可能性の段階で止まる。止まるのか止められたのかはわからない。

 国民は何も知らないままである。

 

 友人と食事の場であれこれ話す。

 友人たちは皆疑っている。

「なぜ国民や都民に利益のないところで多額の税金が使われるのか」

「あのMとかいう政治家は一体どこからいくら金を受け取っているのかね?おかしくない?都税を使って建物を建てろ建てろって」

 あるいは、

「Bボール協会長は、Aアリーナを都税で建てさせて、音楽協会からどれだけの金を受け取るんだろう…」

 証拠はないから、ただ憶測で喋るしかないのである。知る権利とは名ばかりで、市民には政治家の利権や汚職について知る自由はない。

 

 でもたとえ、政治家の汚職や利権、あるいはカネと政治の結びつき、あるいは政界と財界そして官と政財の癒着とも言える結びつきについて、何かが発覚したとして、人々は怒るだろうか? 

 いや怒ったとして、人々は行動するだろうか?

 

 行動すると思う。たくさんの人が怒って、行動したいと思うと思う。

 でもこの国では、たくさんの怒れる人々は、行動したいと思いながら、何をしていいかわからないまま、いつしか不正と不正への怒りに慣れてしまう。

 どんな苦痛も、苦痛を感じ続けるより苦痛を感じないように、それが「苦痛でない」と、あるいは「思ったより大した苦痛ではない」と自分をだますことの方が、今日を生きることが楽であることを日本人は知っている。

 

 そして本当に実際のところ、日本人は何をしていいか、何をしたら、怪しく汚い政治とカネの世界が変えられるのか、皆目わからないのだ。

 日本人は自分の考えで社会を変えたことなどないのだから。

 こうした手の内のなさは、厚顔無恥な面の皮の厚い政治家たちには、完全に読まれきっている。選挙で負ける以外には、市民からの不正への応報などありえないことを知っているのだ。

 

 韓国の弾劾に、思う。

 こんなに近くの国なのに、韓国の人たちと日本人はあまりに違う。

 韓国民が6週間で手にした大統領の弾劾という成果は、日本人にとってはあまりにたくさんの高いハードルの、はるかに彼方先である。

 

南スーダンが「比較的落ち着いている」なんて信じているのは日本人だけだろう

19日付けの東京新聞によると、11月17日アメリカパワー国連大使安保理事会で「南スーダンに対する武器禁輸等を求める制裁決議案」を提出する考えを示した。

「政府と反体制派の戦闘による一般市民の犠牲をなくす第一歩になる」と説明する。

 

今月上旬に現地を訪れたディエン事務総長特別顧問も「7月の大規模な戦闘で政治対立が民族紛争になり、憎悪が広がっている」武器禁輸などの国際社会の行動が「民族大虐殺を防ぐ助けになる」と強調している。

 

日本政府は、自衛隊PKO活動に「駆けつけ警護」や「宿営地の共同防護」などの拡大任務が付与されることについて、「PKO5原則を満たした上だ」と繰り返し発言してきた。すなわち「①紛争当事者間の停戦合意が成立していること…」等の条件を、現在南スーダンが満たしていると強調する。

 

しかし世界は、南スーダンで停戦合意が成立しているとはみなしていない。

南スーダンは、今年7月の戦闘で停戦合意が崩壊し、再び内戦状態にある。

 

さらに、今や国連においてPKOの任務は、停戦合意が破られようと、撤退せず中立的立場を捨てて住民を保護することを優先する。住民保護のためなら、たとえ相手が政府軍であっても交戦主体となって戦うことを求められている。

 

日本人の頭の中では、まだお花畑が繰り広げられているようだ。

自衛隊は、中立的な立場を守る

停戦合意が守られている地帯のみで活動する

停戦合意が破られば撤退する

と。

世界のスタンダードにおいては、住民を保護もせずに撤退する中途半端な部隊は、おそらく非難をまねくだけだろう。

 

それでも南スーダン自衛隊を派遣する

日本政府の意図はどこにあるのか?

日本政府は国連PKO活動のためではなく、日本政府のために自衛隊を派兵しようとしているというのが、およその見方である。

 

中途半端な派兵が招く犠牲に対処するには、自衛隊の軍隊化、そして十分な軍備が必要、そしてなによりも十分な法整備が必要、というわけだ。

その延長線上に、「時代のニーズに合わなくなった」憲法第9条の改正があることは言うまでもない。

 

それにしても、だ。

自衛隊には何事もなく帰ってきて欲しい」「南スーダンは比較的落ち着いているらしい」「戦闘が起これば勇気を持って撤退するのだ」という希望的観測を信じ自衛隊員の無事を祈る日本人と、

その正しさを声高だかに強調しながら、実は虎視眈々と派兵の実績を作り、既成事実化を進め、既成事実に基づく軍備と法の整備を狙う安倍政権の狡猾さとの対照はどうだろう。

 

この大きな落差に、戸惑いとショックを感じるのは、自分だけだろうか。

 

世界地図を見ながら嘆息する。

日本はまだ一応「平和」なのだと。

そして日本人は、間違いなく平和ボケしているのだと。

日本人は何も知らない。遠い南スーダンで何が起こっているのかも。もしかしたら南スーダンがどこにあるのかさえも。

 

ボケてて許される間は、日本人はお花畑を信じているふりをするのだろう。

そしてある日、自主的に協調的に言うのだろう。

「仕方ない。時代が変わったのだから」

 

その日、日本に憲法第9条がないことは言うまでもない。

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ほんとに、マジでもう原発止めようよ…

熊本地震直下型地震で前代未聞の激しい揺れと凄まじい被害が進行している熊本のすぐ近くで、川内原発は動いている。

今月6日、福岡高裁宮崎支部は川内原発の運転差し止めを求める住民の訴えを退けた。
高裁は、観測地の平均値から割り出された基準地震動(最大の強さの揺れ)を「極めて合理的」と判断し、九電は再稼働したのをこれ幸いと、事故対策の免震施設の建設を止めた。

今もし川内原発を巨大地震が襲ったら、冷却装置は正常に動くのだろうか? 炉心溶解は絶対に防げるのか?
事故に確実に対応できる対策施設は無い。

ほんと、マジでもう原発止めようよ…
怖えよ、マジで。

筆者は関東に住んでいる。が、福島第一原発事故から5年、関東の食物はどんどん安全ではなくなっていることを肌身で感じている。
福島原発から流出した放射能は、確実に近隣の海や地を汚し、放射能で汚染された食物は、じわじわと関東人の体にも入り、放射能は着実に体内に蓄積されている。
安いものは要注意である。
でも高い消費税を払わされて、貧乏人には産地は選べない。
いや、消費者だけではない。
大多数の消費者が、貧困化の煽りで高い食材を選べない以上、提供する流通側も安い食材を選ぶしかない。気がつけば、私たちの周りの「買える食物」の産地はほぼ原発事故の近隣のものとなっている。
われわれは安い食べ物を選んで、放射能汚染の可能性が否定できない食材を買うしかない。

そしてある日、体に癌ができる。
健康診断で、あるいは何らかの症状に気づいて、私たちは癌と診断され癌と戦わなければならなくなる。
でも原発から漏れ出した放射能と自分の体に巣食った癌との因果関係は絶対に証明されない。

原発事故から我が身を守ることなどできない。
事故を起こした原発が撒き散らす放射能から、我が身を守ることなどできない。放射能汚染のない安全な食物を食べることなど、絶対にできないのだ。

ほんと、マジでもう原発止めようよ…
怖えよ、マジで。

自分だけでも原発事故と放射能汚染から安全でいられる確信が、あなたはありますか?

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今はすでに「下手なこと言っちゃいけない時代」なのか?

昨日ある人がつぶやいた。
「今はもう下手なこと言えない時代だから」

その人は90代の高齢者で、少し認知症があると言われているが、ニュースで、万引きをしたと言う虚偽の記録が消されていなくて推薦を受けられなかった中学生の自殺のことも、水曜から真冬の寒さに戻っていることも、よく知っていた。
その人が、ニュースの中の政治家や政権者を見て、「今はもう下手なこと言えないから時代だから」と言って口を閉じた。

何のことかと思い、思わず尋ねてみた。
「それにしても戦争に行った人たちは、今の時代のことをどう思っているんでしょう?」
するとその人は、
「えー、それはー、まぁー、ねー」
ととても話しにくそうに言葉を伸ばして、ため息をつき、目を伏せた。

下手なこと言えないとは、やはり戦争の事を指していたのかと思う。
だとしたら、戦争に反対する事はもはやお上にたてつくことを意味するのだろうか。
この人は、かつて七十数年前、こうやって自分の身を守らなければならなくて、そうすることが、もう骨の髄まで染み、体に叩き込まれているのだろうか。

こうやって身を守らなければならなかった日本人は、戦後の民主主義のように、処罰がなければ何でも言う日本人だ。
でもひとたび自由にしゃべることが処罰を伴う時代になった時には、下手な事は何も言わない日本人になる。

今日のニュースで、トランプ候補の集会に反対派が押し寄せ、賛成派ともみ合いになり、集会が中止になったと伝えられた。
アメリカには、下手なことを言わない安全よりも、反対を表明して獲得する安全を重視する人がまだいるようだ。

国境なき記者団が発表する「世界報道自由度ランキング」で、日本のメデイア自由度の順位は、昨年第61位である。

この国はもう下手なことが言えない国になってしまったのだろうか?
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