いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

南スーダンが「比較的落ち着いている」なんて信じているのは日本人だけだろう

19日付けの東京新聞によると、11月17日アメリカパワー国連大使安保理事会で「南スーダンに対する武器禁輸等を求める制裁決議案」を提出する考えを示した。

「政府と反体制派の戦闘による一般市民の犠牲をなくす第一歩になる」と説明する。

 

今月上旬に現地を訪れたディエン事務総長特別顧問も「7月の大規模な戦闘で政治対立が民族紛争になり、憎悪が広がっている」武器禁輸などの国際社会の行動が「民族大虐殺を防ぐ助けになる」と強調している。

 

日本政府は、自衛隊PKO活動に「駆けつけ警護」や「宿営地の共同防護」などの拡大任務が付与されることについて、「PKO5原則を満たした上だ」と繰り返し発言してきた。すなわち「①紛争当事者間の停戦合意が成立していること…」等の条件を、現在南スーダンが満たしていると強調する。

 

しかし世界は、南スーダンで停戦合意が成立しているとはみなしていない。

南スーダンは、今年7月の戦闘で停戦合意が崩壊し、再び内戦状態にある。

 

さらに、今や国連においてPKOの任務は、停戦合意が破られようと、撤退せず中立的立場を捨てて住民を保護することを優先する。住民保護のためなら、たとえ相手が政府軍であっても交戦主体となって戦うことを求められている。

 

日本人の頭の中では、まだお花畑が繰り広げられているようだ。

自衛隊は、中立的な立場を守る

停戦合意が守られている地帯のみで活動する

停戦合意が破られば撤退する

と。

世界のスタンダードにおいては、住民を保護もせずに撤退する中途半端な部隊は、おそらく非難をまねくだけだろう。

 

それでも南スーダン自衛隊を派遣する

日本政府の意図はどこにあるのか?

日本政府は国連PKO活動のためではなく、日本政府のために自衛隊を派兵しようとしているというのが、およその見方である。

 

中途半端な派兵が招く犠牲に対処するには、自衛隊の軍隊化、そして十分な軍備が必要、そしてなによりも十分な法整備が必要、というわけだ。

その延長線上に、「時代のニーズに合わなくなった」憲法第9条の改正があることは言うまでもない。

 

それにしても、だ。

自衛隊には何事もなく帰ってきて欲しい」「南スーダンは比較的落ち着いているらしい」「戦闘が起これば勇気を持って撤退するのだ」という希望的観測を信じ自衛隊員の無事を祈る日本人と、

その正しさを声高だかに強調しながら、実は虎視眈々と派兵の実績を作り、既成事実化を進め、既成事実に基づく軍備と法の整備を狙う安倍政権の狡猾さとの対照はどうだろう。

 

この大きな落差に、戸惑いとショックを感じるのは、自分だけだろうか。

 

世界地図を見ながら嘆息する。

日本はまだ一応「平和」なのだと。

そして日本人は、間違いなく平和ボケしているのだと。

日本人は何も知らない。遠い南スーダンで何が起こっているのかも。もしかしたら南スーダンがどこにあるのかさえも。

 

ボケてて許される間は、日本人はお花畑を信じているふりをするのだろう。

そしてある日、自主的に協調的に言うのだろう。

「仕方ない。時代が変わったのだから」

 

その日、日本に憲法第9条がないことは言うまでもない。

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