戦争してはいけない。戦争に加担してはいけない
政治家はみんな、無責任なことを口走っている。
強気を示さないと支持率が落ちる、強い国家リーダーであらねばならない、それが彼らの最大関心事だろうか。ギリギリまで絶対的な軍事力で相手を恫喝して、ギリギリまで自分の正当性を誇示して、ギリギリまで駆け引きをして、ギリギリのところでわずかな譲歩を示して、ギリギリのところで相手の譲歩を迫る、それが狙いの強気な発言なのだろう。だが、そんなものは国家のリーダーの役割ではない。
もしギリギリのところで、相手が譲歩しなければ。もはや先制攻撃をやむなくとしたら。もはや絶対的な軍事力を意味なしとし、絶対的な軍事力を恐れない相手だったら。
強大な軍事力は、地球の全てを難度破壊しても尽きることはない。
『抑止力』というのは、強い国家を標榜する軍産共同体の、妄想のイリュージョンである。
「破局的な結果も覚悟すべき」などと無責任なことを言い放つことは許されない。
戦争をしてはいけない。
それが国家の真のリーダーの役割である。
戦争を回避する。戦争を国際紛争の解決の手段としない。国際紛争の解決手段としての戦争に加担しない。あらゆる手段を使って、戦争回避のための窓口を設ける。話し合いを呼びかける、その努力をどんなにギリギリになっても行うべきである。
なぜなら、戦争で命を危険に晒し、何気ない日常を徹底的に奪われ、戦争で全ての人として生きる権利を奪われるのは、つねに、つねに無辜の民である。
戦争は限りなく、命と人権を奪いつくす人類史上の国家犯罪である。
戦争は人の土地と生活を破壊する。
戦争は限りない難民を生み出す。
戦争は、
戦争はあなたの、食べ、歌い、集い、語り、笑い、育み、守り、生きる全てを奪うのだ。
戦争をしてはいけない。
対話を。あなたの憎む相手とこそ、対話を。決して相互理解の道を諦めてはならない。
それが、複雑な利害の交錯する国際社会を生き抜くための、唯一の術なのだ。
戦争をしてはいけない。