いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

「美しい日本」の正体を見ただろうか?

なんとかというモノが「美しいなんとか」「美しいなんとか」と言うので、「美しい」と言う言葉が嫌いになった。

美しいものを「美しい」と言うのを、全くもって躊躇する。

 

なぜならなんとかというモノが言う「美しい」は、本来美しいものが持つ美しさを言っているのではなく、虚偽で塗り固められた何かであり、押しつぶしてもの言わせぬ何かであり、価値観の押し付けであり、押し付けを断れば人権を踏みにじってのヘイトであり、つまるところ国家権力の暴力であり、国を挙げてのファシズムであるからである。

 

なんとかいうモノの言う「美しい」とは、特定秘密保護法であり、安保法制であり共謀罪である。

 

なんとかとかいうモノの言う「美しい」とは、忖度すればパン屋ではなく和菓子屋であり、忖度すればギターではなく和楽器であり、パンならあんぱんならば美しいらしい。

 

なんとかいうモノの言う「美しい」…一体何が美しいのだろう?  

 

本来食べ物屋は、パン屋も和菓子屋も等しく、美味しいものを作る職業である。

それを一方は「正しい」、一方は「間違っている」。一方は「道徳的である」、他方は「道徳にはふさわしくない」という。
文化や生活に関わる営みを「正しい」「間違っている」「道徳的だ」「道徳的でない」という。
そしてそういったものが整っていれば「美しい」、整っていなければ「美わしくない」という。

そして例外を許さないことこそが日本型全体主義、まさにファシズムなのだ。

みなさん。
実は共謀罪もまた、内面の例外を許さない法律である。
内面を罪に問われないためには、心を犯罪でないところで線引きしなければならない。傍受されても盗聴されても、   摘発されないように、内面まで正しくあらねばならない。
その正しさとはなんだろう? 国家権力が決めた正しさであることは言うまでもない。
その正しさとは、検定教科書に載ってる道徳であり、それはパン屋ではなく和菓子屋である。
その正しさとは、美しく公務員は国民から全ての行政情報を隠し、美しく戦争法を備え、美しく心の内面で徹底的に犯罪を突き止め処罰することである。