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いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

『法の支配』と『人の支配』

 少し前になるが、2017年1月8日チェコを訪問中の岸田外務大臣が、ザオラーレク外相と会談して、南シナ海ウクライナの情勢について力による現状変更を認められないとし、

「法の支配」による国際秩序の維持に向け連携を強化していくことで一致した、

という報道があった。

 岸田氏はこれまでにも南シナ海問題をめぐって、何度か「法の支配の重視や平和的解決の大切さを訴えたい」といった発言を繰り返している。

 

 言いたいことはわからなくもないが、『法の支配』はここでは中国に対して「実効支配ではなく法を遵守せよ」と言いたいのである。それなら平たく「法の秩序を守れ」と言えば済むことなのに、『法の支配』という言葉をわざわざ用いて、わざわざ無意味に使用している。


 そういえば安倍首相も時々、「法の支配の遵守こそ大事」という言葉の使い方をする。他人に法律を守らせたいときにこの言葉を使う。

 この人は本当に知らないかもしれない。また、本当の『法の支配』という概念が意味することには全く興味がないのだと思う。だがだんだん慣らされてしまい、適当な使い方が内閣全体に、そして外相にも伝染してしまったのである。

 いや、もしかしたら安倍と違い、岸田は『法の支配』の本当の意味を知っていたのかも。知っているが、その概念を覆すことに一役買って、あえて間違った用法を使ったのかもしれない。この内閣はおそらく『法の支配』を最も受けたくない内閣だろう。

 なぜなら『法の支配』とは、一言でいうなら『立憲主義』を意味しているからだ。

 

 ウィキペディアには、

「法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である。
法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている。」

と記されている。

 

 安倍内閣は、きっと許しがたいだろう。日本国憲法に自分たちが拘束されるなんて。

 でも法の支配を受けない権力に曝された国民は、人の支配を受けて(すなわち恣意的な支配によって)苦しめられることになる。『法の支配』は中世・近世の市民革命の原理として生まれ、貧富格差の拡大とそこから発生した植民地戦争・全体主義ファシズム支配への猛省によって『立憲主義』に位置付けられた原理なのだ。

 

 彼らもいう、まだ今のうちは『法の支配』と(たとえ内容は間違っていても)。
 そして、数の力を根拠に、自分たちに都合のいい法律を作り、自分たちの治世に都合のいい憲法を作り上げようとする。
 でも彼らにとって都合のいい憲法や法律には、もはや『法の支配』つまり「権力は憲法に拘束され、憲法によって国民は権力の乱用から守られる」ということは書かれていない。
 そうなれば、国民は法の支配を受けない恣意的な権力によって、常に不安定な支配にさらされることになるのだ。

 

 ここまで書いていて、ふと思った。
 例の人物である。もう間もなくアメリカの大統領になるD.トランプ。

 彼もまた、『法の支配』という基本原理を全く解さない人物である。そしてもうすぐ、アメリカという巨大国家の行政最高権力者になろうとしている。

 

 この人物は、その立ち振る舞いを見ている限り、選挙で勝ったから自分は正しい、選挙で勝ったのだから、自分はその最高権力を自由に使うことができるのだ、と思っているようである。(どこかの総理大臣もよく似ている。「我々が提出する法律についての説明は全く正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」・・・)
 こういう人物が権力を握った時の危機管理のために、近代以降の立憲主義は、権力の分立と相互チェックの機構を設けたのだが、アメリカの議会は今のところトランプ次期大統領の暴走に何の歯止めもかけられない(そもそも未就任なのだから当然だ)。そして、すでに市場と企業とメディアと関係各国は、この未就任の大統領に散々右往左往している。
 

 この大狂乱の程度は、世界がいかに『法の支配』を信頼していないか、トランプによる恣意的な『人の支配』を正面から受け入れているかのバロメーターとなる。

 

 POST-TRUTH。ポスト真実の時代。
 人類の歴史が血を流してつくり上げてきた立憲主義と『法の支配』を、Twitterと無知と恫喝で一瞬にして壊し去る人物が登場する時代。誰にもそれを止められない(かもしれない)時代が到来している。