いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

この男は何を言いだすのだ⁉︎  籾井NHK会長年頭挨拶

コトバの”なんちゃって化”はここまで深刻に

 

朝日新聞デジタル2017年1月5日)

『 24日に退任するNHKの籾井勝人会長は4日、NHKホール(東京都渋谷区)で開いた職員向けの年頭あいさつで、任期中の言動で混乱を招いたと謝罪する一方、公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしいと呼びかけた。
 籾井会長は3年前の就任当時を振り返り、会見などでは「できるだけ率直に語りたい」との思いで臨んだが、「ご承知の通り大変混乱が起こり、職員の皆さんに誠に申し訳ないと思っている」と述べた。
 また「数え切れないくらい読んだ」とする放送法について、「私たちを律すると同時に、いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律だ」と言及。「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と語った。
 また、昨年籾井会長ら執行部が提案しながら経営委員会が了承せず、見送られた受信料値下げについて、任期中に受信料収入が過去最高を記録したことに触れつつ、「(受信料の)支払率が上がれば、その分視聴者にお返ししていく。これは大変大事なことで、今後お忘れなくやっていただきたい」と指摘した。(滝沢文那)』

 
 この人物がこれまで何を言ってきたか、皆さんよくご存知だろう。
 3年前の就任会見での下の発言から、現政権下のメディア崩落は始まった。2014年1月25日の事である。

「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」

 また同就任会見では、
放送内容について「日本政府と懸け離れたものであってはならない」
とも発言し、

従軍慰安婦問題について、
「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げ、「なぜオランダに今頃まだ飾り窓があるんですか」
とも述べている。
 これらの発言について、籾井は翌月の衆議院総務委員会で「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」と述べているが、個人としての持論は変わらないことを重ねて言及した。

 また2016年4月20日には、NHK災害対本部会議において本部長を務める籾井は、原発関連報道を日本国政府の「公式発表をベースに伝えること」と指示を出していた。

 この人物が何を思ったのだろう。
 NHK職員への年頭挨拶で、「公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしい」と呼びかけ、「いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律」に基づき、「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と番組作りについて語ったというのだ。

 笑いがこみ上げた。
 もちろん籾井が改心したとか、この人物がこれまで犯してきた放送法への無理解や、権力と結びついた報道人への恫喝、国民の知る権利と自由への蹂躙について、本気で謝罪したなどとは金輪際信じていない。政権におもねて情報を隠し、公式発表原稿のみを繰り返してきたここ数年のNHK報道は『大本営発表』と皮肉られている。事実はその通り。この人物は在任期間中、報道人を政権の圧力に晒したことはあっても、一度として「圧力に左右されない公正で不偏不党なニュース番組作り」に関与したことなどないわけだから、謝罪など何の根拠もない。


 そうではなく、ここまで言葉は無責任に弄ばれ、侵され、馬鹿にされ尽くして許されるのかという、腹の底から憎しみとともにこみ上げてくる(どす黒い)笑いである。

 

 籾井劇場は、籾井勝人という、経営委員に先に辞表を書かせるほど威圧的で、放送法も知らずに日本放送協会長に就任できる不見識、いかなる批判にも責任を取らず、個人と会長の意見すら区別できない無知性なる無法者によって、公共放送を3年間も牛耳られ、大半のメディアのほとんどは何の抵抗もなくこれに習って右を向き、最後は「君たちこれまでよく頑張ったね。君たちがやってきたことこそ矜持を持った自主的な判断である。もちろんこれからも、これまで通りいかなる圧力にも負けないで、公正で不偏不党な報道をしてくれ給え。これまでのことは褒めてつかわす」と励ましのお言葉をいただいて終わろうとしている。

 

 拍手をするしかない。

 メディアの完全なる敗北である。