いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

私たちの内面が監視される

『政府は、犯罪の実行を話し合って合意することを処罰する共謀罪の創設を巡り、殺人のために現金自動預払機(ATM)でお金を下ろすなどの「準備行為」がなければ処罰できないなどの歯止めを検討している。』

東京新聞2017年2月3日)

 

 この一文を読んで、震撼しない人がいるだろうか?
 現金自動預払機に行くという、あまりに日常的な、誰でもが行う生活行為が、殺人のための「準備行為」となるという。
 ATMに行ったので、「殺人の実行を共謀した」として処罰されるというのだ。

 仮にAくんとしよう。
 Aくんは前の晩、同僚のBくんと電話で、
「上役のCのやつ気にくわないよな。ホント、いっぺん殺してやろうぜ」
「ホントホント」
と会話したとする。
 翌朝、財布の中身がからだった。仕方ないからATMに行く。Cを殺しに行くためか、朝ごはんのパンを買うためかは、わからない。 
 だがこのAくん、実は警察から捜査対象にされていて、通信傍受法に基づき電話を盗聴されていた。警察はAくんとBくんを「殺人を共謀し、殺人のための準備行為として現金をおろした」として逮捕することが可能になる。

 

 政府はこれを「歯止めだ」としている。
 ATMに行かなければ、共謀罪は成立しないから「歯止めになる」。だがATMなんて、日常誰だって行くのだから、どのようにでも理由をつけることができるではないか。

 

「テロ等準備罪」法案を通すにあたり、「一般市民」が対象になるものではないと、政府は再三にわたって説明を試みてきた。だが、出されてきた例を見れば、逆に、いかにも一般市民が簡単に「犯罪者」とみなされそうな日常的な行為が、「テロ等(277の犯罪が対象となるらしい)の準備」とされている。こんな普通の行為が「犯罪の準備」「共謀の準備」とみなされる危うさに、一般市民は震撼せざるをえないのである。

 一般市民は対象とされることはないと、安倍首相や菅官房長官は繰り返し弁明している。だが、そこでいう「一般市民」とはどんな市民なのだろう?
 道路交通法(当初は共謀罪の対象に入っていた)も含めて、犯罪には一生涯関わりのない「聖人」だろうか。心に一切の不満なく、隣人にも社会にも政府にも一片の疑問も怒りも持たない、お上に逆らわぬ「臣民」だろうか。

 一度疑問や怒りや不満を持ったが最後、共謀罪のある社会では、市民は捜査対象になる可能性を否めない。そして市民の言論行動は監視される。心の内面がわずかでも「犯罪の共謀」と(警察に)みなされたが最後、市民はATMに行くだけでも逮捕される可能性がある。

 

 戦前の治安維持法下では、逮捕が先にあった。犯罪とみなされたのは国体に反する思想言動であって、いくらでも後付けができた。目的は言説と思想の弾圧にあり、小林多喜二を始め、獄中死は数知れない。

 

 安倍首相は、2月17日の予算委員会で、「テロ等準備罪」の処罰対象について、「普通の団体でも性質が一変した場合は組織的犯罪集団に当たりうる」と答弁している。1月26日には「そもそも犯罪を目的としている集団でなければならない」と説明していたにも関わらずである。
 このように為政者が自由に法を解釈する時、市民の自由は限りなく制限されることを、歴史は教えている。

 

共謀罪」の要件を変えた「テロ等準備罪」法案を、政府自民党は来月10日閣議決定し、今国会で成立させたいとしている。