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いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

「忖度」こそが日本型ファシズムの原型

森友問題の不思議。

それは、この法人に対して明らかに不当な、官僚による国有地の値下げ売却が行われたのに、今のところ、明確な汚職らしき証拠がみあたらないこと。

 

そして、総理夫人がそれに関わってきたらしき過程の中で、証拠能力のある籠池理事長証言によれば、”総理夫人への献金”ではなく、”総理夫人からの寄付”によって寄付金集めの”推進”が行われてきたらしきこと。

 

そして残すべき意思決定の過程の記録が、官僚によってあたかも合法であるかのように、平気で廃棄されていること。

 

察するに、

政治家先生はきょうび、汚いカネなんか別にもらわなくてもいいらしい。
ヘイトの右翼学校、上等だ。これぞなんとか会議のめざすとこ。これぞ憲法改正、国民総動員への道。寄付をし、シジンのフジンを使ってでも、それを応援するのみであったのだ。

 

そして察するに、

官僚は、汚いカネなんかのどうこうに別に興味はないらしい。
政治家先生に睨まれさえしなけきゃ、順調に給料はじゅーぶん上がるし、先の出世も当然ある。人事権握った政治家大先生に睨まれさえしないなら、むしろ気に入られるならば、どんなに手を汚して汚い隠蔽答弁を繰り返したところで、出世は順調、出世の先は権力者。

 

だから、忖度忖度なのであります。
今日も忖度明日も忖度。忖度だけは忘れずに。空気読むこと大事です。
そしてもっともっと大事なことは、忖度の証拠を残さないこと。
だってヤバいです、これ実は、全く妥当性がない、危ない危ない、危ない忖度なのでして。
忖度ヤバいね、国有財産の勝手な値引き八億円だもん。

 

ですので、法令ギリギリでヤバい記録は捨てました。
忖度やって、記録は捨てる。隠した記録は速攻処分。経産相を見習って官庁鍵掛け、メディアさよなら。危ない記録、これで絶対陽の目を見ることはない。あはは!安泰。お見事お見事。うふふ、自分を褒めてあげたい。

 

こうして、タマゴが先かニワトリが先か、よくわからない、政治とカネならぬ、政治と官僚の蜜月がガッツリネトネトと続くのであります。もはや誰にも責任を問えないシステムがあるのだそうであります。

 

日本型ファシズム
それはまさに忖度であります。
誰も逆らわない、みずから進んで喜んで全体主義に身を投じる。こうしてかつて、ヒットラーすら「羨ましい」と憧れた、日本型の世界一強固な鵺のような不気味なファシズムができたのであります。

 

ちなみに、忖度しても一銭の得もないビンボー人は、むしろ身体を張って不正や不当を正そうと主張するのであります。
そうした忖度できないドアホのビンボー人には、威力業務妨害で5ヶ月でも10ヶ月でも留置場にいてもらわなくては困るのだそうであります。


こいつら何もしてない? 簡単であります、共謀罪があります。
LINEでデモに行くお誘いをしただけで十分であります。そんな不貞のビンボー民間人は、一網打尽でお縄にしましょう。

 

共謀罪、21日より衆議院法務委員会で審議されております。
しどろもどろの金田法相が、相変わらず不勉強なまま答弁しておりますが、
あろうことか、この議席数なら、誰も知らないうちに強行採決だってできちゃいます。

 

私たちの内面が監視される

『政府は、犯罪の実行を話し合って合意することを処罰する共謀罪の創設を巡り、殺人のために現金自動預払機(ATM)でお金を下ろすなどの「準備行為」がなければ処罰できないなどの歯止めを検討している。』

東京新聞2017年2月3日)

 

 この一文を読んで、震撼しない人がいるだろうか?
 現金自動預払機に行くという、あまりに日常的な、誰でもが行う生活行為が、殺人のための「準備行為」となるという。
 ATMに行ったので、「殺人の実行を共謀した」として処罰されるというのだ。

 仮にAくんとしよう。
 Aくんは前の晩、同僚のBくんと電話で、
「上役のCのやつ気にくわないよな。ホント、いっぺん殺してやろうぜ」
「ホントホント」
と会話したとする。
 翌朝、財布の中身がからだった。仕方ないからATMに行く。Cを殺しに行くためか、朝ごはんのパンを買うためかは、わからない。 
 だがこのAくん、実は警察から捜査対象にされていて、通信傍受法に基づき電話を盗聴されていた。警察はAくんとBくんを「殺人を共謀し、殺人のための準備行為として現金をおろした」として逮捕することが可能になる。

 

 政府はこれを「歯止めだ」としている。
 ATMに行かなければ、共謀罪は成立しないから「歯止めになる」。だがATMなんて、日常誰だって行くのだから、どのようにでも理由をつけることができるではないか。

 

「テロ等準備罪」法案を通すにあたり、「一般市民」が対象になるものではないと、政府は再三にわたって説明を試みてきた。だが、出されてきた例を見れば、逆に、いかにも一般市民が簡単に「犯罪者」とみなされそうな日常的な行為が、「テロ等(277の犯罪が対象となるらしい)の準備」とされている。こんな普通の行為が「犯罪の準備」「共謀の準備」とみなされる危うさに、一般市民は震撼せざるをえないのである。

 一般市民は対象とされることはないと、安倍首相や菅官房長官は繰り返し弁明している。だが、そこでいう「一般市民」とはどんな市民なのだろう?
 道路交通法(当初は共謀罪の対象に入っていた)も含めて、犯罪には一生涯関わりのない「聖人」だろうか。心に一切の不満なく、隣人にも社会にも政府にも一片の疑問も怒りも持たない、お上に逆らわぬ「臣民」だろうか。

 一度疑問や怒りや不満を持ったが最後、共謀罪のある社会では、市民は捜査対象になる可能性を否めない。そして市民の言論行動は監視される。心の内面がわずかでも「犯罪の共謀」と(警察に)みなされたが最後、市民はATMに行くだけでも逮捕される可能性がある。

 

 戦前の治安維持法下では、逮捕が先にあった。犯罪とみなされたのは国体に反する思想言動であって、いくらでも後付けができた。目的は言説と思想の弾圧にあり、小林多喜二を始め、獄中死は数知れない。

 

 安倍首相は、2月17日の予算委員会で、「テロ等準備罪」の処罰対象について、「普通の団体でも性質が一変した場合は組織的犯罪集団に当たりうる」と答弁している。1月26日には「そもそも犯罪を目的としている集団でなければならない」と説明していたにも関わらずである。
 このように為政者が自由に法を解釈する時、市民の自由は限りなく制限されることを、歴史は教えている。

 

共謀罪」の要件を変えた「テロ等準備罪」法案を、政府自民党は来月10日閣議決定し、今国会で成立させたいとしている。

 

「憲法九条上の問題になる言葉」とは、自衛隊を「戦闘」から守る言葉である

「法的な意味における戦闘行為ではない。国会答弁をする場合、憲法九条上の問題になる言葉を使うべきではないから、一般的な意味での武力衝突という言葉を使っている」

         (稲田朋美防衛相 2017年2月8日      衆院予算委委員会答弁)

   

   頭がくらくらする。

 2016年7月の日報で現地南スーダンPKOに参加している陸上自衛隊員が、
自衛隊宿営地周辺での射撃事案に伴う流れ弾や、市内での突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」「7月7日の衝突は市内全域へと拡大。10、11日にも戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘があった」と記載した内容について、稲田朋美防衛相は「日報に書かれているのは一般的な戦闘の意味だ」と答弁し、「憲法九条上の問題になる」から自衛隊員が「戦闘」と記した戦闘状態を「法的な意味における戦闘行為ではない」それは「武力衝突」だと言い張った。

 

 おまけに、
 この稲田氏の答弁を受け、自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は、9日の定例会見で、今後は「用語」に慎重を期すよう、部隊に指示したという。

 

「法的な意味における戦闘行為ではない。国会答弁をする場合、憲法九条上の問題になる言葉を使うべきではないから」、戦闘を「武力衝突」と言い換える。

 

 2016年10月9日のデジタル版毎日新聞によると、
稲田朋美防衛相は8日(日本時間同)、南スーダンの首都ジュバを訪問し、国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊施設部隊の活動状況を視察した。稲田氏は視察後、記者団に「ジュバ市内が落ち着いていると目で見ることができた」と述べ、安全保障関連法に基づく新たな任務付与に関しては「情勢報告も受けており、政府全体で議論したい」との考えを示した」とある。
 わずか7時間の視察である。何を見てきたのか知らないが、少なくともこの数ヶ月前にジュバで起きていた戦闘については、憲法九条が禁じる武力紛争にあたり、自衛隊が巻き込まれる恐れがある場合はPKOから部隊を撤退させなければならない「戦闘行為」と認める気はなかったのだろう。


 2016年11月15日に、政府は自衛隊PKOにおける「駆けつけ警護」の新任務を与える閣議決定を行っている。

 

 政府自民党にとっては、自衛隊は何があっても南スーダンPKOにおいて「駆けつけ警護」を付与されなければならないし、撤退など許されなかったのだろう。そのためには戦闘事実を武力紛争という言葉で塗り隠し、憲法九条に抵触しない言葉を使うことで、憲法自衛隊員の生命と安全を守ることを阻止している。

 

 息子(43歳)が現地のPKO施設内で道路整備などを行っているある男性は「防衛相が「戦闘」を「武力衝突」と言葉を言い換えて、現地が安全かのように表現するなんて、国民を馬鹿にしている」と憤る。また20歳代の息子が現地で活動する別の男性は「不安をかかえながら送り出した家族をなんだと思っているのか」と語気を強める(2月10日東京新聞)。


 まさしく、自民党政権のもとで、自衛隊員には憲法九条によって守られるべき国民の権利が制限されている。しかもこの政権は、事実を憲法九条をクリアできる言葉に置き換えるというバカバカしくも単純な手段を使って公然と事実を隠蔽しているという事実に、恥もせずに胸を張る。
 PKOから自衛隊を撤退させ、自衛隊員の生命を守るための「戦闘状態」という事実認識は、これでは永久に誤認されるシステムとなる。

恥と屈辱

 本日付けの東京新聞は、「トランプ米政権下でスティーブン・バノン主席戦略官兼上級顧問の発言力が増している」と報じた。

 バノン氏は、メキシコ国境への壁建設やイスラム圏7カ国からの入国禁止を決めた大統領令に深く関与し、これらの大統領令の「黒幕」と呼ばれている。また、バノン氏は国家安全保障会議NSC)の常任メンバーにも起用されている、トランプ氏の側近中の側近、大のお気に入りである。

 

 2017年1月27日bbc.comによると、ニューヨークタイムズ紙の電話取材に対し、このバノン氏「トランプ氏の勝利を予測できなかった報道機関は『恥と屈辱』を味わうべきで、しばらくは黙って、ただ聞いていろ」と述べたという。

 

 メディアは、ならず者が世界を牛耳っていくのを見て、指をくわえる。ならず者に下品な罵倒を浴びせられ「恥と屈辱」を味わいながら黙りこむ。

 

 トランプ氏の「米国第一主義」。
 アメリカがアメリカの利益を最優先し自国をもう一度偉大な国にするということ、「どこがおかしい」ともっともらしく聞こえなくもない。
 だがこの「アメリカ」の中に、イスラム教徒は入っていない。黒人や女性や移民や難民は入っていない。トランプ一族が気に入らない人間は入っていない。
 トランプ一味の「気に入る、気に入らない」。そこには明確な基準はない。利権と機嫌が全てである。ミスタートランプには、意見の違う相手と議論する習慣はないし、立場の違う他者の話に耳を傾けるべきという価値観もない。そんなもの、この一味にとって何のメリットもない。
 この一味の世界では、人類は勝者と敗者に分けられていて、敗者を徹底的にたたきのめして勝者であり続けることこそが、価値の全てである。
 だからこそ、この間の大統領令発動のスピードを見よ。
 アメリカの建国と権利闘争の歴史の全てをたった2週間で破壊し塗り替えるための、権力闘争圧倒的大勝利のために、周到に練り上げられたプランを実行中なのである。
 負けないうちは勝ち続ける。勝ち続けているうちに、世界を作り変えるのだ。敗者の意見なんか聞いてる暇はないし、それは全くの完全なる時間の浪費である。 

  敗者には、「負け犬に口を聞く権利などない」こと、「負け犬の遠吠えを聞くものなどいない」ことを徹底的に、無残に教えてやらねばならぬ。「屈辱」をたたき込み、声など出せないよう「恥」を学ばせるのだ。

 こうして負け犬が「恥と屈辱」に黙り込んでいる間に、一味の目的通り、既成政治は破壊される。敗者たちが我に返ったときには、二度と声などあげられない世界が構築されているのだ。

   

   次に「同盟関係」。
  アメリカに(トランプ一味に)利する国以外は、同盟関係とは呼ばれないだろう。「同盟関係」ならちゃんと「同盟関係」と呼ぶに値するだけの供出を求められるだろう。つまりは「同盟国」らしくアメリカに利するよう行動しろと、無残にも徹底的に恫喝をかけられるであろう。
 総理大臣が国会で「アメリカの利益こそが我が国の利益でありますから」などど平気で受け答えするような国である。恫喝に恐れおののいて、青息吐息で早速防衛費負担を引き上げるよう、さらに弱者であり(選挙の)敗者である国民を騙すだろう。


 国民にはおそらく何もできないだろう。

 屈辱と恥を学んでいるから?

 権力に恐れおののいて、黙ることを知っている国民だから? 

『法の支配』と『人の支配』

 少し前になるが、2017年1月8日チェコを訪問中の岸田外務大臣が、ザオラーレク外相と会談して、南シナ海ウクライナの情勢について力による現状変更を認められないとし、

「法の支配」による国際秩序の維持に向け連携を強化していくことで一致した、

という報道があった。

 岸田氏はこれまでにも南シナ海問題をめぐって、何度か「法の支配の重視や平和的解決の大切さを訴えたい」といった発言を繰り返している。

 

 言いたいことはわからなくもないが、『法の支配』はここでは中国に対して「実効支配ではなく法を遵守せよ」と言いたいのである。それなら平たく「法の秩序を守れ」と言えば済むことなのに、『法の支配』という言葉をわざわざ用いて、わざわざ無意味に使用している。


 そういえば安倍首相も時々、「法の支配の遵守こそ大事」という言葉の使い方をする。他人に法律を守らせたいときにこの言葉を使う。

 この人は本当に知らないかもしれない。また、本当の『法の支配』という概念が意味することには全く興味がないのだと思う。だがだんだん慣らされてしまい、適当な使い方が内閣全体に、そして外相にも伝染してしまったのである。

 いや、もしかしたら安倍と違い、岸田は『法の支配』の本当の意味を知っていたのかも。知っているが、その概念を覆すことに一役買って、あえて間違った用法を使ったのかもしれない。この内閣はおそらく『法の支配』を最も受けたくない内閣だろう。

 なぜなら『法の支配』とは、一言でいうなら『立憲主義』を意味しているからだ。

 

 ウィキペディアには、

「法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である。
法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている。」

と記されている。

 

 安倍内閣は、きっと許しがたいだろう。日本国憲法に自分たちが拘束されるなんて。

 でも法の支配を受けない権力に曝された国民は、人の支配を受けて(すなわち恣意的な支配によって)苦しめられることになる。『法の支配』は中世・近世の市民革命の原理として生まれ、貧富格差の拡大とそこから発生した植民地戦争・全体主義ファシズム支配への猛省によって『立憲主義』に位置付けられた原理なのだ。

 

 彼らもいう、まだ今のうちは『法の支配』と(たとえ内容は間違っていても)。
 そして、数の力を根拠に、自分たちに都合のいい法律を作り、自分たちの治世に都合のいい憲法を作り上げようとする。
 でも彼らにとって都合のいい憲法や法律には、もはや『法の支配』つまり「権力は憲法に拘束され、憲法によって国民は権力の乱用から守られる」ということは書かれていない。
 そうなれば、国民は法の支配を受けない恣意的な権力によって、常に不安定な支配にさらされることになるのだ。

 

 ここまで書いていて、ふと思った。
 例の人物である。もう間もなくアメリカの大統領になるD.トランプ。

 彼もまた、『法の支配』という基本原理を全く解さない人物である。そしてもうすぐ、アメリカという巨大国家の行政最高権力者になろうとしている。

 

 この人物は、その立ち振る舞いを見ている限り、選挙で勝ったから自分は正しい、選挙で勝ったのだから、自分はその最高権力を自由に使うことができるのだ、と思っているようである。(どこかの総理大臣もよく似ている。「我々が提出する法律についての説明は全く正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」・・・)
 こういう人物が権力を握った時の危機管理のために、近代以降の立憲主義は、権力の分立と相互チェックの機構を設けたのだが、アメリカの議会は今のところトランプ次期大統領の暴走に何の歯止めもかけられない(そもそも未就任なのだから当然だ)。そして、すでに市場と企業とメディアと関係各国は、この未就任の大統領に散々右往左往している。
 

 この大狂乱の程度は、世界がいかに『法の支配』を信頼していないか、トランプによる恣意的な『人の支配』を正面から受け入れているかのバロメーターとなる。

 

 POST-TRUTH。ポスト真実の時代。
 人類の歴史が血を流してつくり上げてきた立憲主義と『法の支配』を、Twitterと無知と恫喝で一瞬にして壊し去る人物が登場する時代。誰にもそれを止められない(かもしれない)時代が到来している。

 

20歳があえいでいる

20歳があえいでいる。
20歳は、この日本に希望を感じてはいない。
20歳は、この国の就業の暗さと自己実現の難しさに途方にくれている。
20歳は、この国の借金の多さと、増える高齢者の多さに押しつぶされそうになりながら、高齢化社会をなんとか笑顔で生きられないかと模索をしている。

 

政治家よ、現政権よ。
一握りの人間が儲かる社会を作ることに尽力している政権よ。それを景気の向上とよぶ政権よ。

 

頼むからもう少し節約してくれ。

 

未来にツケを回さないで、この高齢化社会を、日本が数十年乗り切る施策をとってくれ。
20歳が、個性を生かして世の中に貢献できるよう、希望を自己実現にかえていけるよう。

20歳が生き続けていけるよう、年寄りが若い者にのしかからないで世の中が成り立つよう、慎ましく世界を成り立たせることをやってくれ。 


それが、20歳を社会に迎える大人の最低限やるべきことじゃないか。

この男は何を言いだすのだ⁉︎  籾井NHK会長年頭挨拶

コトバの”なんちゃって化”はここまで深刻に

 

朝日新聞デジタル2017年1月5日)

『 24日に退任するNHKの籾井勝人会長は4日、NHKホール(東京都渋谷区)で開いた職員向けの年頭あいさつで、任期中の言動で混乱を招いたと謝罪する一方、公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしいと呼びかけた。
 籾井会長は3年前の就任当時を振り返り、会見などでは「できるだけ率直に語りたい」との思いで臨んだが、「ご承知の通り大変混乱が起こり、職員の皆さんに誠に申し訳ないと思っている」と述べた。
 また「数え切れないくらい読んだ」とする放送法について、「私たちを律すると同時に、いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律だ」と言及。「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と語った。
 また、昨年籾井会長ら執行部が提案しながら経営委員会が了承せず、見送られた受信料値下げについて、任期中に受信料収入が過去最高を記録したことに触れつつ、「(受信料の)支払率が上がれば、その分視聴者にお返ししていく。これは大変大事なことで、今後お忘れなくやっていただきたい」と指摘した。(滝沢文那)』

 
 この人物がこれまで何を言ってきたか、皆さんよくご存知だろう。
 3年前の就任会見での下の発言から、現政権下のメディア崩落は始まった。2014年1月25日の事である。

「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」

 また同就任会見では、
放送内容について「日本政府と懸け離れたものであってはならない」
とも発言し、

従軍慰安婦問題について、
「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げ、「なぜオランダに今頃まだ飾り窓があるんですか」
とも述べている。
 これらの発言について、籾井は翌月の衆議院総務委員会で「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」と述べているが、個人としての持論は変わらないことを重ねて言及した。

 また2016年4月20日には、NHK災害対本部会議において本部長を務める籾井は、原発関連報道を日本国政府の「公式発表をベースに伝えること」と指示を出していた。

 この人物が何を思ったのだろう。
 NHK職員への年頭挨拶で、「公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしい」と呼びかけ、「いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律」に基づき、「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と番組作りについて語ったというのだ。

 笑いがこみ上げた。
 もちろん籾井が改心したとか、この人物がこれまで犯してきた放送法への無理解や、権力と結びついた報道人への恫喝、国民の知る権利と自由への蹂躙について、本気で謝罪したなどとは金輪際信じていない。政権におもねて情報を隠し、公式発表原稿のみを繰り返してきたここ数年のNHK報道は『大本営発表』と皮肉られている。事実はその通り。この人物は在任期間中、報道人を政権の圧力に晒したことはあっても、一度として「圧力に左右されない公正で不偏不党なニュース番組作り」に関与したことなどないわけだから、謝罪など何の根拠もない。


 そうではなく、ここまで言葉は無責任に弄ばれ、侵され、馬鹿にされ尽くして許されるのかという、腹の底から憎しみとともにこみ上げてくる(どす黒い)笑いである。

 

 籾井劇場は、籾井勝人という、経営委員に先に辞表を書かせるほど威圧的で、放送法も知らずに日本放送協会長に就任できる不見識、いかなる批判にも責任を取らず、個人と会長の意見すら区別できない無知性なる無法者によって、公共放送を3年間も牛耳られ、大半のメディアのほとんどは何の抵抗もなくこれに習って右を向き、最後は「君たちこれまでよく頑張ったね。君たちがやってきたことこそ矜持を持った自主的な判断である。もちろんこれからも、これまで通りいかなる圧力にも負けないで、公正で不偏不党な報道をしてくれ給え。これまでのことは褒めてつかわす」と励ましのお言葉をいただいて終わろうとしている。

 

 拍手をするしかない。

 メディアの完全なる敗北である。