順応と無関心と忘却
何冊もこの人の本を読んでるのに、全く何ひとつ身についてない感じがする。人は個として思索するものであり、身につくようなものじゃないんだろうな、と暗澹とする。
いつも日常に追われるばかりの私は、気がつけば、自分の中の、あるいは自分の周りの《ファシズム》に意識がなくなっている。
上下意識、
支配ー被支配、
ハラスメント、
いじめといじめに対する無関心、
嘘と抑圧への無関心、
ルールは要らないーすなわち私がルールだ、
そして不快な事は全て忘れ去ってしまうこと、
これらは全て、私と私の周りに現に存在する、そしてこれからますます日本と世界を覆い尽くす《ファシズム》の芽だ。
人は、不快を恐れるあまりに、その不快さにすらにすら慣れ、不快さに順応してしまう生き物なのだ。
そしていつかその不快さの理由を忘れる。
言葉で書かれた歴史は消えていく。出版物は少なくなり、教科書は真実ではなく国家権力の推奨した言葉を、その紙面に掲載する。歴史と記憶が消えて行き、人々はやがて不快さの根拠を喪う。
《ファシズム》による支配は正義となり、自由を求める抵抗は犯罪となる。
私たちはまさに今そういった時代への過度期を生きている。
順応と無関心と忘却。本当に今闘わなければならない相手は、私の中のこうした心象である。