言葉、言葉、言葉!
と、ハムレットは言ったが、
時おり私も「言葉、言葉、言葉!」とつぶやいている。
その理由は、言葉が消えていくからだ。
もちろん頭から。
脳に明らかにトラブルがある。わかってる。そんなこと、もう10年ほど前から。
失語症状である。
はじめは末尾からひとつ前の言葉が消えた。
次第に、単語の想起困難が現れ、換語困難が現れ
最近は、名前が入れ替わる。
困ったものです。
間違ったわけではないんですが、一瞬油断するとよその子の名前呼んじゃうんだ。
ごめんなさい。
私個人の脳の中の失言語もやっかいだが、
世界も言語を失っている。
世界は言葉を失い、歴史をも故意に失うことを奨励している。
加虐の歴史を故意に消し去って、被害者になりすまし、
テロや攻撃に対して、自衛が必要だと戦争への道を作り上げる。
戦争への道も嫌だが、特定の言葉や歴史を故意に奪う統制、
国民から思考したり、記憶したり、記録したり、伝達したりすることを奪う統制
そちらは、虫唾が走るほど嫌だ。
漫画『はだしのゲン』でも、
原爆が落とされる描写や原爆投下後のヒロシマの描写も悲惨で目を覆うが、
子供心に恐怖に戦慄したのは、第一巻で描かれる原爆投下前の広島の、
戦時下の日常だった。
そこでは、大日本帝国の戦争に疑問をもつことは禁じられ、
隣近所と戦争を戦うための助け合いを強要され、
反戦思想をもつことは共同体から厳しく見張られ、
竹やりをもって近代戦に対処するという禍々しいフィクションを日夜修練させられる。
特高警察は、少しでもこうした統制に反する国民がいれば
令状なしで逮捕拘留し、暴力と拷問で思想の変更を強制できるのであった。
心のありようの自由、それはこれからどうなってしまうのだろう。
個人番号が心を自由を統制するため、国益に反する個人を検索し、公共安全のために半所する時代にならないだろうか?
そのことに、肌身で不安と不信を禁じ得ない。
ともかく、言葉、言葉、言葉!なのだ。
自分で感じ取り、知り、考え、記録し、記憶し、伝達する。
言葉を残し、言葉で残されたものをどこまでも隠し持つのだ。
人類の知性に反する時代の行きように、
心のありようの自由を対峙しなければならない。