毎日心がざわざわする
毎日ざわざわする。
からだの悪寒ではなく、心がだ。
少し前まで、こんな窮屈感はなかった。鈍かっただけなのかもしれないが。
多くの国民の反対を無視して
9月安保法制が、国会で強行採決され
連合政権構想や来年参院選への希望もみえないまま、
「アベノミクス新三本目の矢は、介護離職ゼロ」などと
理屈も根拠もない政治を 臆面なく繰り広げている。
原発は、避難の方法もないまま次々と再稼働を始め、
辺野古では、反対する市民への海保と機動隊の暴力が繰り返され、
知事の権限を国が代執行するという暴挙が、
裁判所人事をあらかじめ変更したうえで
準備されようとしている。
欧州への大量のシリア難民の流入は、行く先々の国で困難を極め、
ロシアのシリアへの空爆が圧倒的火力をもって行使され、
11月13日にはパリ市内で同時多発テロ、
オーランドはベルサイユ宮殿に全国会議員を集めて、
「フランスは戦争状態だ」と宣言、
パリは非常事態宣言を3か月延長、
個人番号通知カードの不在票がポストに入っていた。
ひとつひとつは脈絡がない。
ないが、どこかでつながっているような、
世界は大きく戦争へ、自由の制限へと舵を切っている感覚がある。
心がざわざわする。
世界も
日本も
職場も
家も
大きな外部からの圧力で
自由への制限が加えらようとしている。
すでに
踏みとどまって「自由が必要だ」と言葉にすることは
「権利」ではなく
「抵抗」になってしまった気がする。
だとしたら、
言葉にしなければならないと思う。
言葉が殺されたら、人は個人ではなく、ただのヒトにされてしまうからだ。
いま、言葉にできることを
やらなくてはならないと思う。
このざわざわと、たたかわなくてはならないと思う。