いま言葉にできること

Miumiブログ。世界を、時代を、現代を見つめて、言葉は真実をあきらめてならない。

恥と屈辱

 本日付けの東京新聞は、「トランプ米政権下でスティーブン・バノン主席戦略官兼上級顧問の発言力が増している」と報じた。

 バノン氏は、メキシコ国境への壁建設やイスラム圏7カ国からの入国禁止を決めた大統領令に深く関与し、これらの大統領令の「黒幕」と呼ばれている。また、バノン氏は国家安全保障会議NSC)の常任メンバーにも起用されている、トランプ氏の側近中の側近、大のお気に入りである。

 

 2017年1月27日bbc.comによると、ニューヨークタイムズ紙の電話取材に対し、このバノン氏「トランプ氏の勝利を予測できなかった報道機関は『恥と屈辱』を味わうべきで、しばらくは黙って、ただ聞いていろ」と述べたという。

 

 メディアは、ならず者が世界を牛耳っていくのを見て、指をくわえる。ならず者に下品な罵倒を浴びせられ「恥と屈辱」を味わいながら黙りこむ。

 

 トランプ氏の「米国第一主義」。
 アメリカがアメリカの利益を最優先し自国をもう一度偉大な国にするということ、「どこがおかしい」ともっともらしく聞こえなくもない。
 だがこの「アメリカ」の中に、イスラム教徒は入っていない。黒人や女性や移民や難民は入っていない。トランプ一族が気に入らない人間は入っていない。
 トランプ一味の「気に入る、気に入らない」。そこには明確な基準はない。利権と機嫌が全てである。ミスタートランプには、意見の違う相手と議論する習慣はないし、立場の違う他者の話に耳を傾けるべきという価値観もない。そんなもの、この一味にとって何のメリットもない。
 この一味の世界では、人類は勝者と敗者に分けられていて、敗者を徹底的にたたきのめして勝者であり続けることこそが、価値の全てである。
 だからこそ、この間の大統領令発動のスピードを見よ。
 アメリカの建国と権利闘争の歴史の全てをたった2週間で破壊し塗り替えるための、権力闘争圧倒的大勝利のために、周到に練り上げられたプランを実行中なのである。
 負けないうちは勝ち続ける。勝ち続けているうちに、世界を作り変えるのだ。敗者の意見なんか聞いてる暇はないし、それは全くの完全なる時間の浪費である。 

  敗者には、「負け犬に口を聞く権利などない」こと、「負け犬の遠吠えを聞くものなどいない」ことを徹底的に、無残に教えてやらねばならぬ。「屈辱」をたたき込み、声など出せないよう「恥」を学ばせるのだ。

 こうして負け犬が「恥と屈辱」に黙り込んでいる間に、一味の目的通り、既成政治は破壊される。敗者たちが我に返ったときには、二度と声などあげられない世界が構築されているのだ。

   

   次に「同盟関係」。
  アメリカに(トランプ一味に)利する国以外は、同盟関係とは呼ばれないだろう。「同盟関係」ならちゃんと「同盟関係」と呼ぶに値するだけの供出を求められるだろう。つまりは「同盟国」らしくアメリカに利するよう行動しろと、無残にも徹底的に恫喝をかけられるであろう。
 総理大臣が国会で「アメリカの利益こそが我が国の利益でありますから」などど平気で受け答えするような国である。恫喝に恐れおののいて、青息吐息で早速防衛費負担を引き上げるよう、さらに弱者であり(選挙の)敗者である国民を騙すだろう。


 国民にはおそらく何もできないだろう。

 屈辱と恥を学んでいるから?

 権力に恐れおののいて、黙ることを知っている国民だから? 

『法の支配』と『人の支配』

 少し前になるが、2017年1月8日チェコを訪問中の岸田外務大臣が、ザオラーレク外相と会談して、南シナ海ウクライナの情勢について力による現状変更を認められないとし、

「法の支配」による国際秩序の維持に向け連携を強化していくことで一致した、

という報道があった。

 岸田氏はこれまでにも南シナ海問題をめぐって、何度か「法の支配の重視や平和的解決の大切さを訴えたい」といった発言を繰り返している。

 

 言いたいことはわからなくもないが、『法の支配』はここでは中国に対して「実効支配ではなく法を遵守せよ」と言いたいのである。それなら平たく「法の秩序を守れ」と言えば済むことなのに、『法の支配』という言葉をわざわざ用いて、わざわざ無意味に使用している。


 そういえば安倍首相も時々、「法の支配の遵守こそ大事」という言葉の使い方をする。他人に法律を守らせたいときにこの言葉を使う。

 この人は本当に知らないかもしれない。また、本当の『法の支配』という概念が意味することには全く興味がないのだと思う。だがだんだん慣らされてしまい、適当な使い方が内閣全体に、そして外相にも伝染してしまったのである。

 いや、もしかしたら安倍と違い、岸田は『法の支配』の本当の意味を知っていたのかも。知っているが、その概念を覆すことに一役買って、あえて間違った用法を使ったのかもしれない。この内閣はおそらく『法の支配』を最も受けたくない内閣だろう。

 なぜなら『法の支配』とは、一言でいうなら『立憲主義』を意味しているからだ。

 

 ウィキペディアには、

「法の支配は、歴史的には、中世イギリスの「法の優位」の思想から生まれた英米法系の基本原理である。
法の支配は、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、被治者の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義とも密接に結びついている。」

と記されている。

 

 安倍内閣は、きっと許しがたいだろう。日本国憲法に自分たちが拘束されるなんて。

 でも法の支配を受けない権力に曝された国民は、人の支配を受けて(すなわち恣意的な支配によって)苦しめられることになる。『法の支配』は中世・近世の市民革命の原理として生まれ、貧富格差の拡大とそこから発生した植民地戦争・全体主義ファシズム支配への猛省によって『立憲主義』に位置付けられた原理なのだ。

 

 彼らもいう、まだ今のうちは『法の支配』と(たとえ内容は間違っていても)。
 そして、数の力を根拠に、自分たちに都合のいい法律を作り、自分たちの治世に都合のいい憲法を作り上げようとする。
 でも彼らにとって都合のいい憲法や法律には、もはや『法の支配』つまり「権力は憲法に拘束され、憲法によって国民は権力の乱用から守られる」ということは書かれていない。
 そうなれば、国民は法の支配を受けない恣意的な権力によって、常に不安定な支配にさらされることになるのだ。

 

 ここまで書いていて、ふと思った。
 例の人物である。もう間もなくアメリカの大統領になるD.トランプ。

 彼もまた、『法の支配』という基本原理を全く解さない人物である。そしてもうすぐ、アメリカという巨大国家の行政最高権力者になろうとしている。

 

 この人物は、その立ち振る舞いを見ている限り、選挙で勝ったから自分は正しい、選挙で勝ったのだから、自分はその最高権力を自由に使うことができるのだ、と思っているようである。(どこかの総理大臣もよく似ている。「我々が提出する法律についての説明は全く正しいと思いますよ、私は総理大臣なんですから」・・・)
 こういう人物が権力を握った時の危機管理のために、近代以降の立憲主義は、権力の分立と相互チェックの機構を設けたのだが、アメリカの議会は今のところトランプ次期大統領の暴走に何の歯止めもかけられない(そもそも未就任なのだから当然だ)。そして、すでに市場と企業とメディアと関係各国は、この未就任の大統領に散々右往左往している。
 

 この大狂乱の程度は、世界がいかに『法の支配』を信頼していないか、トランプによる恣意的な『人の支配』を正面から受け入れているかのバロメーターとなる。

 

 POST-TRUTH。ポスト真実の時代。
 人類の歴史が血を流してつくり上げてきた立憲主義と『法の支配』を、Twitterと無知と恫喝で一瞬にして壊し去る人物が登場する時代。誰にもそれを止められない(かもしれない)時代が到来している。

 

20歳があえいでいる

20歳があえいでいる。
20歳は、この日本に希望を感じてはいない。
20歳は、この国の就業の暗さと自己実現の難しさに途方にくれている。
20歳は、この国の借金の多さと、増える高齢者の多さに押しつぶされそうになりながら、高齢化社会をなんとか笑顔で生きられないかと模索をしている。

 

政治家よ、現政権よ。
一握りの人間が儲かる社会を作ることに尽力している政権よ。それを景気の向上とよぶ政権よ。

 

頼むからもう少し節約してくれ。

 

未来にツケを回さないで、この高齢化社会を、日本が数十年乗り切る施策をとってくれ。
20歳が、個性を生かして世の中に貢献できるよう、希望を自己実現にかえていけるよう。

20歳が生き続けていけるよう、年寄りが若い者にのしかからないで世の中が成り立つよう、慎ましく世界を成り立たせることをやってくれ。 


それが、20歳を社会に迎える大人の最低限やるべきことじゃないか。

この男は何を言いだすのだ⁉︎  籾井NHK会長年頭挨拶

コトバの”なんちゃって化”はここまで深刻に

 

朝日新聞デジタル2017年1月5日)

『 24日に退任するNHKの籾井勝人会長は4日、NHKホール(東京都渋谷区)で開いた職員向けの年頭あいさつで、任期中の言動で混乱を招いたと謝罪する一方、公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしいと呼びかけた。
 籾井会長は3年前の就任当時を振り返り、会見などでは「できるだけ率直に語りたい」との思いで臨んだが、「ご承知の通り大変混乱が起こり、職員の皆さんに誠に申し訳ないと思っている」と述べた。
 また「数え切れないくらい読んだ」とする放送法について、「私たちを律すると同時に、いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律だ」と言及。「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と語った。
 また、昨年籾井会長ら執行部が提案しながら経営委員会が了承せず、見送られた受信料値下げについて、任期中に受信料収入が過去最高を記録したことに触れつつ、「(受信料の)支払率が上がれば、その分視聴者にお返ししていく。これは大変大事なことで、今後お忘れなくやっていただきたい」と指摘した。(滝沢文那)』

 
 この人物がこれまで何を言ってきたか、皆さんよくご存知だろう。
 3年前の就任会見での下の発言から、現政権下のメディア崩落は始まった。2014年1月25日の事である。

「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」

 また同就任会見では、
放送内容について「日本政府と懸け離れたものであってはならない」
とも発言し、

従軍慰安婦問題について、
「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げ、「なぜオランダに今頃まだ飾り窓があるんですか」
とも述べている。
 これらの発言について、籾井は翌月の衆議院総務委員会で「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」と述べているが、個人としての持論は変わらないことを重ねて言及した。

 また2016年4月20日には、NHK災害対本部会議において本部長を務める籾井は、原発関連報道を日本国政府の「公式発表をベースに伝えること」と指示を出していた。

 この人物が何を思ったのだろう。
 NHK職員への年頭挨拶で、「公共放送として圧力に左右されず、自主的な判断による番組作りをしてほしい」と呼びかけ、「いかなる圧力や働きかけにも左右されず、公正で不偏不党、自らの責任でニュース番組を作るという、放送を守る法律」に基づき、「NHKの自主的な判断が全てに最優先する。矜持(きょうじ)をもって独自の判断を実行していってほしい」と番組作りについて語ったというのだ。

 笑いがこみ上げた。
 もちろん籾井が改心したとか、この人物がこれまで犯してきた放送法への無理解や、権力と結びついた報道人への恫喝、国民の知る権利と自由への蹂躙について、本気で謝罪したなどとは金輪際信じていない。政権におもねて情報を隠し、公式発表原稿のみを繰り返してきたここ数年のNHK報道は『大本営発表』と皮肉られている。事実はその通り。この人物は在任期間中、報道人を政権の圧力に晒したことはあっても、一度として「圧力に左右されない公正で不偏不党なニュース番組作り」に関与したことなどないわけだから、謝罪など何の根拠もない。


 そうではなく、ここまで言葉は無責任に弄ばれ、侵され、馬鹿にされ尽くして許されるのかという、腹の底から憎しみとともにこみ上げてくる(どす黒い)笑いである。

 

 籾井劇場は、籾井勝人という、経営委員に先に辞表を書かせるほど威圧的で、放送法も知らずに日本放送協会長に就任できる不見識、いかなる批判にも責任を取らず、個人と会長の意見すら区別できない無知性なる無法者によって、公共放送を3年間も牛耳られ、大半のメディアのほとんどは何の抵抗もなくこれに習って右を向き、最後は「君たちこれまでよく頑張ったね。君たちがやってきたことこそ矜持を持った自主的な判断である。もちろんこれからも、これまで通りいかなる圧力にも負けないで、公正で不偏不党な報道をしてくれ給え。これまでのことは褒めてつかわす」と励ましのお言葉をいただいて終わろうとしている。

 

 拍手をするしかない。

 メディアの完全なる敗北である。

 

 

国民番号制度、医療を進攻中

 2017年1月3日付けYOMIURI ONLINEは次のように報じた。

 

「病院でもマイナンバーカード、保険証代わりに
 政府は、2018年度にマイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにする方針を固めた。
 患者の本人確認を迅速にし、医療事務の負担を軽減するとともに、カードの普及を図る。厚生労働省が17年度当初予算案に、システム構築の関連費用などとして243億円を計上した。
 マイナンバーカードへの対応が整った医療機関では、専用機にカードを通せば、保険証がなくても診察や薬の処方を受けられるようになる。医療機関から診療報酬の請求を受ける「審査支払機関」が、健康保険組合などの委託を受け、システム上で保険の資格確認ができるようにしておき、医療機関からの照会に答える仕組みだ。
 医療機関は、転職や離職などに伴って失効した保険証が示されてもすぐに分からず、後で失効が判明するケースも少なくない。患者が加入している保険の種類が瞬時に確認できれば、こうした事態を防ぐことができる。」

 

 このニュースは大きく取り上げられることもなく、翌朝には消えたが、世の中はマイナンバーの来るべき暴走を、さして違和感なく受け止めたということだろうか。

 

 マイナンバーというか個人番号、正確には『行政手続における特定の個人を識別するための番号』は公布当初、「個人情報の保護を十分に配慮しつつ」社会保障制度、税制及び災害対策の3分野において利用の促進を図る、と利用の範囲が限定され、他の分野に関しては「個人情報の保護に十分に配慮しつつ」「国民の利便性の向上に資する分野における利用の可能性を考慮して」施策の推進を行うと記載されるにとどまっている。(「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律』平成25年公布)


 2015年6月には、日本年金機構の年金加入者の名前や基礎年金番号などの個人情報が125万件パソコンから流出する「年金情報流出事件」が起こり、行政が個人情報を扱うことへの国民の不安と危機感が高まった。


 また個人番号は、個人情報保護の観点からだけでなく、国民に番号を振り国家が国民を番号管理することへの不信や反対もあり、あるいは多様な個人の情報が番号によって一括管理され、一つの個人番号の下でいつでも個人のあらゆる行政情報が露わになることへの不安と不信もある。

 

 そのマイナンバーが、どんどん医療へと触手を伸ばしている。2016年からは高齢者医療保険等で届出(なぜか「利用」と呼ばれる)を要求されるようになったようだが、次はマイナンバーカードを保険証の代わりに使えるようにするという。


 マイナンバーカードがあれば「保険証がなくても診察や薬の処方を受けられるようになる」、といかにも国民の利便を説いているが、マイナンバーカードを医療機関で使うことによって、いずれは患者の全ての医療情報診療情報が個人番号に統合されるようになっていくであろう。
 しかし、個人の医療診療情報をどう保護していくのかということは、何も言明されていない。
 個人の医療情報は果たして守られるだろうか?


 近頃のメタボ差別もさることながら、遺伝疾患・精神疾患・原爆病・公害病原発放射能の被害・ハンセン氏病、そして障害や難病・・、この国の医療差別は幅広く、ほとんど未解決であり、その上長く根強い歴史がある。

 個人番号から漏れ出る医療診療情報は、やがて露わな偏見や就労差別・結婚差別等と結びついて、人々を苦しめることになっていくのではないだろうか。危惧する。

今年あなたは中間層から貧困層へ移動しませんでしたか?

 私はずっと「まあ中間層くらいのもんだろう」と、自分の所得のことを捉えていたのです。しかし今年になって、ふと「もしや自分は徐々に貧困層へ移動しつつあるのでは・・」と危機感を感じ、いよいよ年末には、はっきりと「もはやこの経済状況は、貧困層である」と自覚するに至っています。

 

 一番最初に貧困を意識したのは、夫婦喧嘩で「いくら貧乏してるからって!!」と言う言葉が自分の口から飛び出した時でした。

 それは、「いくら貧乏してるからって、いくら何年も買いかえられない布団だからって、いくらなんでも掛け布団の上に敷布団を敷くなんて」という、他愛ない相方への文句の言葉でした。が、その瞬間、仕事に追われて何年も自宅の手入れにお金や手間をかけられない、この状況はある意味、貧困状況なのでは?と感じたのでした。

 年末に至り、仕事で疲れ果てた私は、新年の準備どころか日常の家事を行うのも困難な状況。なんとか仕事は続き12月の給与は手に入ったものの明らかな減収。賞与はなく、目下の心配は、働き盛りだと世間に思われている自分年代が、実は収入が見込めるのは定年までのあと5年間だけ、一生分の収入が判明していて、しかもこの収入いつ年齢を理由にさらに減収されるかわからない状況です。

 今すぐ食べるのに困っているわけじゃないんだけど、なけなしの貯蓄をしたところで将来食べていけなくなることは確実であること。

 もう何年も、食料品にちょっとした日々の贅沢品など全く投入できずいつも一番安いものばかり、衣服や装飾品は購入せず節約ばかり、カットに行かないために髪を伸ばす・・。美容院代はもったいないから、行くなら千円カット。

 確かにまだすごい貧困状態ではないかもしれない、でもこれは確かにもはや中間層ではなく貧困予備軍、いやすでに貧困層への仲間入りをしているといえるでしょう。

 

 かつて、「一億総中流」というのが批判も交えて取りざたされた時代がありましたが、中間層という自覚の所得層の存在が社会の安定をもたらしてきたことは間違いない事実です。

 中間層からこの一年で見事に突き落とされた感のある「前は中間層だと勝手に思っていた」所得層の私などは、まさに『社会の不安定と格差の拡大』を体現しているようです。

 

 ちなみに2016年12月15日のプーチン露大統領の訪日で、北方領土問題を棚上げされた上で、日本が申し出たロシアへの経済協力は、3千億円規模に上ると言われています。

 また、12月28日付の東京新聞によるところでは、東京電力ホールディングスが福島第一原発事故の賠償や除染のために、『原子力損害賠償・廃炉等支援機構』に追加申請した金額は7千78億円で、これが申請通り認められれば、10回目の申請で支援額は8兆1千774億円を計上するとのこと。

 

 政界経済界で官僚閣僚省庁が権益利権を奪い合って好き勝手に利用している多額の、超多額の財政支出金は、いったいどこから搾り取られているのでしょう? 

 年末に頭を抱える一市民です。

 

「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るもの」(神尾春央 年貢増徴実務役 1744年)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プーチン大統領訪日で「POST真実」を体験する

『英オックスフォード大出版局は16日、今年注目を集めた英単語として「客観的な事実や真実が重視されない時代」を意味する形容詞「ポスト真実」(POST-TRUTH)を選んだと明らかにした。』
 これは産経ニュース(Web)2016年11月17日の記事だ。

 

 事実や真実といったものが重要性や意味を失いつつあるという。

 

 このPOST TRUTHという耳慣れない言葉。だが、現代を象徴しているという印象が確かにある。

 最近ネットのニュースを読んで、これ事実かフィクションか、判断に困ることってないだろうか?

 

 例えば、12月16日付でAFPが配信したニュース。

『米ホワイトハウスは15日、大統領選の妨害を狙ったサイバー攻撃にロシアのウラジミール・プーチン大統領が直接関与していたとの見方を示した。二大核保有国である両国の対立した危険性を劇的に高める主張だ』

 

 これは一体どう受け止めればいいのだろう? いや、受けとめる前に、これは事実? 事実だとしたら、世界がひっくり返るくらい、えらいことじゃないのか?

 

 ところが世間は特にこんなこと気にしてない様子なのである。
 プーチンは安倍と一緒に、誠に礼儀正しそうな立ち振る舞いで、先ほどまで総理公邸での記者会見に応じていた。

 

 だが一方で、シリアのアレッポでは多くの市民を犠牲にして、政府軍の反政府軍への武力攻撃が行われている。
市民の上に降り注ぐ政府軍の爆弾や銃弾の多くはロシアの支援をうけている。
 一見紳士のような顔をして日本のメディアの前で淡々としゃべるこのロシア大統領は、実はシリアに雨あられと爆弾を落として大勢の市民や子供達を犠牲にしても躊躇しない、強大な軍事力で世界に介入する人物なのである。

 

 わからない。何が真実で何が嘘なのか。
 思わず自分の目と耳を疑うメデイアの情報…

 

…などなどとこの拙文を書きかけ中断した翌々日、メデイアは北方領土問題における安倍外交の明らかな失敗と、プーチン大統領と安倍首相の滑稽なまでの温度差、そして他方におけるロシアのシリア軍事介入の深刻さ、在日シリア人によって人々の「プーチン帰れ!」デモが起こったことなどを伝えている。

 

 これでようやく、少し事実関係の多面性が見え始め、整合性がとれ始める。

 何だったんだろう、あのロシア大統領訪日への勝手に期待した報道。何だったのだろう、あの共同記者会見…。

 

「 POST真実」という危険性は、事実の複雑さ多面性を見極めることが困難な個というものの中に、そして事実と情報を私利私欲の曇りなく、ありのままに複雑に多面的に伝える事を忖度するメデイアの中に、存在しているようである。